序
21世紀の医療テクノロジーとして大きな発展を期待されているのがゲノム医療と再生医療である.そのいずれの場合も造血幹細胞を利用した治療法が先導的役割を果たしている.ゲノム医療の中核となるべき遺伝子治療には乗り越えなければならない技術的ハードルが依然として数多く存在するが,X連鎖重症複合免疫不全症に対する造血幹細胞遺伝子治療の成功は,遺伝子操作テクノロジーを駆使した治療法の魅力を改めて実感させるものである.また,造血幹細胞移植は既に確立した再生医療の代表的なものであるが,最近脚光を浴びている「骨髄細胞の筋注による血管再生療法」は,新しく生まれた概念である《幹細胞の可塑性》をいち早く取り入れた形の先端治療である.さらに,ヒト胚性幹細胞(ES細胞)の樹立成功は,様々な臓器組織の再生医療への応用に繋がることから,幹細胞医学が一躍クローズアップされる契機となった.この分野では,造血幹細胞の研究が基礎・臨床の両面でトップランナーであったが,狭い血液学の範囲を越えて,様々な領域の研究者や臨床医が参入してくるメジャーな学問分野として現在大きな発展期を迎えつつある.従来の常識を覆すような発見や研究アプローチが次々と報告されており,評価が定まるにはしばらく時間を要するものもあるが,医療に直結する領域であるだけに社会的関心も高まっている.もちろん,これまでも造血幹細胞に関する優れた成書が多数出版されてきているが,急展開を見せている最近の状況に対応したものが強く望まれるようになり,そこで本書が企画される運びとなった.基礎面では,様々な角度から一段と研究の進んできた造血幹細胞の知見について,それぞれの専門家にわかり易く現状を解説していただいた.新しい領域として再生医学の観点からの項目を重点的に取り上げてあるのが本書の特徴ともなっている.臨床応用に関しては,造血幹細胞移植の最近の動向を紹介し,さらに,造血幹細胞遺伝子治療を中心に今後の展開にも力を入れた内容となっている.最後に,ゲノム医療や再生医療で不可避的に発生してくる生命倫理上の問題点について,我が国におけるこの分野の研究の舵を取られている高久史麿自治医科大学学長に執筆していただいた.造血幹細胞に関する単行本として,これまでにない大変ユニークな構成のものが出来上がったことを,執筆していただいた専門家の方々に深く感謝したい.
最近の造血幹細胞研究は,大きな変貌を遂げつつあり,基礎・臨床のいずれにおいても大変エキサイティングになってきている.これまでそうであったように,造血幹細胞に関する研究が中核的役割を担い,様々な幹細胞に関する研究をこれからも牽引していくものと予想される.血液学や血液内科に関係する方々に限らず,より多くの研究者・臨床医によって本書が広く活用されることを願っている.
2002年3月
小澤敬也